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東海汽船 橘丸 復刻2007 03 28

東海汽船 橘丸 復刻2007 03 28



2010_02_02
  橘丸 (正式には同社2代目船名)


総トン数 : 1,772屯
主要寸法 : 全長76.0m 幅12.2m 深さ5.5m
主機関 : ディーゼル 2基2軸 2,400 PS
航海速力 : 15.5ノット (最高)17.8ノット
旅客定員 : 1,230名
竣工 : 昭和10年5月
建造所 : 三菱神戸 
建造船主 : 東京湾汽船
航路 : 東京~大島~下田航路 など 

     


東京竹芝桟橋→大島岡田港→大島元町港
初めての「橘丸」、昭和36年秋のこと、当時はこうした運航がされていた。
 
殆どの船客は最初の寄港地岡田港で下船した。
岡田から元町まで乗船するお客はごく僅かで、営業航海で乗船された方は少ないであろう。

私は当然終着の元町まで、早朝6時前なのでバスの動き出す7時まで、休憩と朝食客を求めて、近くの旅館の番頭がお客探しに出ていた。
今でこそ系列の温泉ホテルがあるが、昔はこうして旅館が早朝営業していた。
個室での休憩と朝食で500円を支払った記憶がある。

「橘丸」このあまりにも有名な船なのだが、昭和10年建造当時の船主は、東海汽船の前身東京湾汽船であった。
 
この頃は東京湾汽船が初めて本格客船の建造を始めた時期で、他に
  「菊丸」 759屯  (昭和4年 三菱神戸)
  「桐丸」 532屯  (昭和4年 神戸製鋼播磨) 三宅島八丈島航路向け
  「葵丸」 937屯  (昭和8年 三菱神戸)
が建造された。

最も大きな「橘丸」は流線型の斬新なデザインで、操舵室後方の流線型部分は船長室。
操舵室下の半円形の大きな窓のある部屋が、上等級ラウンジであることはよく知られている。
客室内装もモダンという表現が当て嵌まる、まさしく「東京湾の女王」と呼ばれるに相応しい客船だった。
「あやめの間」 「橘の間」 など、評判のグループ個室が設置されていたことを知る人は、いなくなった。

2等客室は他の船もそうであったように本物の「畳敷き」、岡田~元町航行中に船内清掃が始まり、船室で出た大量のゴミはビニール袋に詰められることもなく、そのままバラで海上投棄されていたのを見ていたが、当時は何とも思わなかった。 
  
 
東海汽船のファンネルは黄色の地色、昭和30年代後半以降の新造船からは、黄色い地色が省略されるようになった。
竣工は昭和10年。 
 
 
就航した頃の航路は  東京~大島~下田
運航ダイヤは、
  東京発22:00
  大島着04:00
  大島発05:00
  下田着07:00
 
復航 東京着19:30 
 
 
2010_01_15 
 東京湾汽船時代の「橘丸」   
 
この後、昭和12年に新造された、浦賀~大島航路の 「芙蓉丸」 が168トンであったことを考えると、「橘丸」 の1,780トンが当時としては如何に大きかったかが伺える。
戦時は病院船として徴用された為戦禍を逃れ、戦後まで生き残れた。
1973年(昭和48年) 解体売却

 
 
 
 
 
 

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