東日本フェリー 境港・金沢港試験寄港メモリアル 復刻2006 11 22
東日本フェリー 境港・金沢港試験寄港メモリアル 復刻2006 11 22
境港金沢港試験寄港メモリアル その1
DATE: 11/22/2006 15:12:29
試験寄港パンフレットには以下の通り記載されていた。
今回の就航計画は、旅客船での旅行の魅力を発信する、国土交通省海事局主催の「公共交通活性化プログラム事業」の成果の一つとして、今後の日本海航路及び港町周辺におけるサービスの改善、創出を検討するものです。
2006年9月1日から4日まで、リベラ株式会社東日本フェリーの「ニューれいんぼうべる」「ニューれいんぼうらぶ」の2隻を使用して、室蘭~直江津~金沢~境港~博多を、南下コースと北上コースに分け運航された。
この試験寄港に乗船する旅客は一般枠、旅行代理店枠、地元枠と割り振られ、一般枠は東日本フェリー公式サイトや関係地元一般紙で募集が行われた。
本船の旅客定員は特別室2室(定員4人)を除くと、一段ベッド利用の2等寝台モノクラスで150人程。
ここから関係者の使用分を除いた数が、各枠に割り振られるので、一般枠で全区間乗船希望者には狭き門であることは、容易に想像がつく。
果たして、その想像は現実のものに。
一般客への売り出し日も事前に公表されていなかったことで、こまめに東日本フェリーのサイトのチェックを怠らなかった方や、偶然新聞紙上で募集広告を発見した方が、全区間予約を勝ち取れる結果となった。
東日本フェリーのサイトに募集広告が掲載されたのが多分14時頃、翌日の午前中には全区間は、南下コース、北上コース共に満席になった。
会社と休暇の相談をしてからと考えていた方は、全滅でなかったのでは。
私は東日本フェリーのサイトで15時ごろには確認出来たので、即札幌予約に電話した。
予約受け入れ現場も準備が出来ておらず、取り敢えず氏名、電話番号、コース、乗船区間をメモして、追って回答を致しますという返事だった。
回答の電話は間もなく入り、予約完了の確認連絡のみで、詳細は後日連絡します、ということでひとまず安心出来た。
境港金沢港試験寄港メモリアル その2
DATE: 11/23/2006 19:59:33
出発日まで1ケ月を切って間もなく、札幌予約から電話があり、参加費用を指定の口座へ振り込むようにとのこと。
全区間乗船の費用は僅かに21,000円、旅程中の朝食と夕食付で。
私は即座にネットバンキングから振込み手続きを完了させ、ホッとした心持でいた。
後は、出発1週間前頃に「出発案内」が送られてくるそうだ。
この頃掲示板上では、旅行代理店枠に比べて一般枠が少な過ぎるのではないか、といった意見が相次いでいたが、確かにその通りで結果的に全区間の受付は10名以下であったのでは、と思えた。
「試験寄港」と一口に言っても、人それぞれに解釈が異なり、今まで経験したことのない展開が待っているとは、誰一人想像していなかったのではないだろうか。
いよいよ一週間前、「出発案内」が送られて来た。
リベラ株式会社東日本フェリーの厚手の立派な角型2号封筒に、必要事項が記載された書面が入っていた。
私は「南下コース」全区間乗船で、室蘭港フェリーターミナルに9月1日19:00までに集合の案内があった。
私の自宅から羽田空港までは、乗り継ぎ時間を含めて所要4時間程だが、羽田空港から新千歳空港までは AIR 利用、ここからは道南バスの高速バスで「室蘭産業会館前」 (旧JR室蘭駅前) まで、下車後「室蘭港フェリーターミナル」までは徒歩5分程度、通い慣れた道だ。
この高速バスは。現在ではフェリーターミナルまで乗り入れるようになった。
JR室蘭駅は、この場所から後方に800m程後退して新駅が出来た関係で、この近辺にあったコンビニは閉店されてしまった為、第1日の夕食は事前に用意して来た。
室蘭港フェリーターミナル内のレストランも、営業が再開されたことは承知していたが。
ターミナルまでは、何時もの様にデジカメで撮影しながら向かったことは、言うまでもない。
境港金沢港試験寄港メモリアル その3
DATE: 11/24/2006 23:50:00
室蘭港フェリーターミナルまでは、自宅から乗継時間を含めて所要4時間の羽田空港へ、羽田空港(AIR)→ 新千歳空港(道南高速バス)→室蘭産業会館前、ここから徒歩5分で室蘭港に到着する。
現在ではこの高速バスはフェリーターミナルまで乗り入れているが、2006年9月1日時点では、室蘭産業会館前が終点であった。
ここは旧JR室蘭駅前、室蘭駅が800m後退して新駅が出来た為に、この近辺にあったコンビニは閉店してしまったので、夕食は事前に用意して来た。
室蘭港到着は18時30分過ぎ、集合の19:00までは1階で暫し休憩、就航船の「ニューれいんぼうらぶ」は無人車両の積込み作業中であった。
そう、定期便が休航するといっても無人車両は積み込むようで、当然かなと納得。
やがて乗船受付カウンターとは別の場所に、長テーブルが設えられてリベラの社員2名が受付の準備を始めた。
ここ室蘭からの乗船者は精々10名程度であろうと予測していた。
事実博多発の「北上コース」は9名との情報を得ていたし。
受付が始って、男性2名が早々と手続き、私の番になりデスク上の乗船者リストを見てビックリ、そう室蘭からの乗船者は3名だけであった。
角型2号の封筒が2種類容易されていて、1つはリベラの社名入りで、こちらには乗船パスポート、旅程が記された旅のしおり、食事券5枚その他が、他方もうひとつの封筒には今回のアンケート調査を担当する「○○○○研」の社名入り、中にはアンケート調査用紙が2組、1組は下船時に、もう1組は帰宅後郵送提出するもののようだ。
出港は20:00、それまで2階の待合室で待つようにとのことで、一先ず2階へ。
2階の売店と、閉鎖されていた3階のレストランが「うみえる」の名称で営業を再開していた。
今日は定期便が休航なので人影はまばら。
ここで北海道新聞の取材を受けることになったが、記者の情報から「北上コース」博多発は12名であることを知らされた。
たしか9名であった筈、その後更に増えたようだ。
この頃は苫小牧八戸航路の集約が話題になっていて、日本海航路だけではなく東日本フェリーの他の航路、青函、大洗便などにも話題が及んだ。
この記者は同行取材はせず、「北上コース」の記者が「ニューべる」に乗船して同行すると言っておられた。
この取材記事は以下の通り
***** 北海道新聞記事から引用 ここから *****
北海道新聞 20060902
試験運航船が室蘭出港 東日本フェリー日本海航路 【写真】 2006/09/02 07:35
【室蘭】リベラ(広島県呉市)が運航する東日本フェリーの日本海航路(室蘭-新潟・直江津-福岡・博多)の新たな観光需要を調査する試験運航船が一日、室蘭と博多をそれぞれ出港した。
室蘭では午後八時、「ニューれいんぼうらぶ」(一一、四○一トン、定員百五十人)が出港した。直江津、金沢、境港(鳥取県)に寄港し、四日早朝に博多に到着する。
百人以上がモニター運航の中心となる金沢-境港間だけを利用するため、室蘭での乗船客は三人のみだったが、博多まで乗船するという千葉市の会社役員、○○○○さん(○○)は「旅客重視の姿勢は好感が持てる。金沢-境港間は面白い航路になるのでは」と話していた。博多発の船にも十二人が乗り、一日深夜に室蘭へ向かった。
試験運航は国土交通省の「公共交通活性化プログラム」として、定期便を運休して実施。乗船客アンケートなどを行う。
<写真:室蘭港を出港する「ニューれいんぼうらぶ」>
***** 北海道新聞記事から引用 ここまで *****
記者と歓談中にリベラの社員2名が「そろそろ乗船します」とお迎えに、記者とは挨拶をして別れ、いよいよ乗船だ。
他の乗船者2名と一緒に、いつもの乗船ゲートから総勢5名が「ニューらぶ」船内へ。
南下コースに就航する 「ニューれいんぼうらぶ」
試験寄港でも車両甲板に積み込みが
室蘭港出港
この時点で船客は3名だけ
吊り下げ式のパスポート
警備が厳重な港湾への出入りに威力を発揮した
定期便では寝台メイクはされていないが、今日に限らず
この航海中は毎日メイクされ、アメニティが補充された
寝台アメニティとして用意されていたタオル
境港金沢港試験寄港メモリアル その4
DATE: 11/25/2006 15:58:28
乗船した船内は何時もと違いガランとしており、室蘭から乗船の3名は客室最前部の最も左舷寄りの客室を割り当てられた。
寝台指定は「21」、早速同室者と自己紹介、お一人は函館、もう一方は小樽在住でどちらもリタイア組であった。
試験寄港は地元新聞の広告でお知りになられたとのことで、所謂船ヲタではない。
乗船区間も博多迄の全区間で一致、この先4日間を常に行動を共にすることになった。
定期便に乗船されたことがある方は、「ニューべる らぶ」の2等寝台室のベッドメイクはセルフサービスである事をご存知でしょうが、今日は何時もと違いキチッとベッドメイクされていた。
その他には「NEW RAINBOW LOVE」のロゴ入りタオル、浴衣、紙コップ、歯磨きセット、髭剃りなど、少なからず違和感があった。
普段はレストラン等として利用される「レインボーホール」にはコーヒーサーバーが用意されており、このコーヒーサービスは下船までの4日間、24時間続けられた。
展望浴室も開放されており、この航海専用の浴室開放時間の掲示も、印刷したものをラミネート加工して作られていた。
9月1日20:00、ほぼ定刻に室蘭港3バースを出港、隣の4バースには23:25発青森行きの「びなす」が停泊中で、「びなす」のクルーも「ニューらぶ」の出港を見送っていた。
やはり何時もとは違う、そんな感じであった。
ここ室蘭港は港口にある「白鳥大橋」が夜間はライトアップされていて、出港後20分程ここをくぐるまで外部デッキで過ごす方が多いのだが、関係者何人かがやはりデッキに出て白鳥大橋あたりまで、景観を楽しんでおられた。
とにかく直江津港までは旅客は我々3名のみにも拘わらず、船内放送はキッチリ行なわれ、設備も完全に稼動されていた。
同室者は何れも旅なれた方達で、函館在住の方は時刻表を持参しており、小樽在住者は好物の酒類を数種、瓶で持参されていた。
函館在住者のみ喫煙者で、都度喫煙室に行かれて煙草を吸われていたが、何か不便そうな感じであった。
長距離フェリーでも行き過ぎかと思われる位、喫煙には厳しくなっているので、仕方のないことでもある。
この試験寄港で「南下コース」では、リベラ㈱の役員1名と社員数名が旅客の接待役として乗船されていた。
クルーも定期便で運航する場合には男性のみだが、通常は「へすていあ」に乗組んでいる女性クルーが2名、派遣されて来ていた。
後々分かったことなのだが、食事もかなり豪勢なものが提供される為、これに見合う食器類もわざわざ積み込んで来ていた。
船室では酒好きの小樽在住者が、日付の変わる頃まで飲んでおられたので、こちらはビールでお付き合いをした。
この小樽在住者が実は某官庁のOBで、今回乗り込んでおられるリベラの役員とは、仕事柄旧知の仲であることも知らされた。
本船では元々「オーナールーム」として乗組員区画に設備されている2部屋を、「特等室」として販売しているが、同行のリベラ役員はこの部屋を使用しているのであろうと推測をしていた。
ところがこの旧知の同室者からの情報では、予想に反してスタッフルームとして確保されている、一般2等寝台室を使用していた。
先代「れいんぼうべる らぶ」使用の食器をわざわざ積み込んだという、明日の朝食が楽しみだ。
境港金沢港試験寄港メモリアル その5
DATE: 11/27/2006 10:10:33
明けて9月2日、天候晴れ、既に津軽海峡を抜けて日本海を南下中。
風は微風で、デッキに出ても髪の毛乱れず、早朝より遊歩甲板や船内で写真撮影をする。
とにかく現時点で船客は私達3名だけ、こんな閑散とした長距離フェリーを体験することは、2度と無いだろうと考えながら、レインボーホールでコーヒーを愉しんだ。
僅かな船客でも船内放送はキッチリしてくれ、やがて船内第1食となる第2日朝食の案内があったが、1時間の時間制限でこれは当然のこととして。
同室者と揃ってレインボーホールへ行くと、入り口でリベラ社員がお出迎え、朝食券を回収してお好きな席へどうぞとのこと。
「へすていあ」から臨時派遣の女性クルーが配膳係りとして食堂におり、朝食膳を配膳してくれた。
北海道新聞の記者の言葉通り、少しばかり豪勢な内容でした。
食事はすべて写真撮影が基本、カメラを向けて2枚撮影した。
コーヒーは24時間サービス、朝食と一緒に皆さんもコーヒーを飲んでいた。
同室者から、案内所に操舵室見学の申し込みをしたと知らされた。
後刻回答するとのことであったが、9時半過ぎにリベラ社員が船長からの回答を伝えに来てくれた。
「10:00に案内所前で待つように」とのことで、許可された。
この時は知らなかったが、金沢~境港間の第3日朝食後に操舵室見学会が催される予定があったのだ。
金沢~境港間はほぼ満席状態の為、見学会は寝台番号で3組に分けて実施されたが、私達はこれには参加しなかった。
指定の10:00に3名揃って案内所前で待つ間もなく、船長が直々に迎えに来て下さった。
半袖の制服姿で、お見受けした感じでは40才前後と思われる若い方であった。
操舵室までの道順は、1階前部の乗組員区画への入口からで。
操舵室には当直航海士と操舵手がおられ、自動操舵の為に操舵手が双眼鏡で見張りをされていた。
特にレーダーに質問が集中、左右逆転画像は初めて見た。
写真撮影の許可を受けて何枚か撮影もした。
頃合をみて船長から機関室もどうですかとのお誘いがあり、こちらも船長自らご案内頂けるとのこと、航海士に「これから(機関室に) 行くからと言っておいて」と指示、普段滅多に見られない機関室へ向かった。
狭くて急勾配の階段を降りるのは当然、逆にこのような経験が嬉しく思われた。
専門外からか機関室はザッと通り過ぎて機関制御室へ、そのうちに当直機関士が現れてご挨拶と質問を、「本船は燃料1リットルで、電気とお湯を含めて何メートル走りますか」、電卓で計算して下さり、凡そ17メートルという結果が算出された。
制御卓の主機表示は「STOP」になっており、操舵室に切り換えられていることが分かる。当節当たり前のことだが。
さてそろそろと思っていたら、船長から「車両甲板の積み付けもご覧になりませんか」とのお誘い、有難くご案内頂くことに、ここも船長自らのご案内であった。
試験寄港といっても車両甲板は、半分程度埋まっている状態で多少驚いた。
荒天でこの車両が引っくり返った経験談等を伺った。
いよいよ終わり、上甲板までお送り頂き厚く謝意を表して船長とお別れ。
一方陸地との距離は、入道崎(秋田県)至近、飛島(山形県)と粟島(新潟県)は何れも左舷に遠望といったところであった。
第2日朝食
境港金沢港試験寄港メモリアル その6
DATE: 11/28/2006 19:06:59
直江津港入港予定時刻は12:50。
昼食指定時間は11:30~13:00まで1時間30分。
粟島(新潟県)を左手にやり過ごして、佐渡島が右手に見えはじめた11:30に昼食の案内放送がありった。
昼食券を忘れずにとお互い確認をし3名揃ってレインボーホールへ、入口でリベラ社員が丁重にお出迎え下さり、やや恐縮しながらもこの雰囲気にも慣れて来た。
第2日昼食 唯一洋食で供される
着席すると、例の「へすていあ」の女性クルーが、「洋食で~す」と昼食膳を配膳して下さった。
全員異口同音に「凄い !!」、全行程で洋食はこれ一度限りであったが、後々一番印象に残る食事となった。
デザートのオレンジは砕氷で囲まれており、その心遣いが嬉しかったものだ。
洋食なので当然味噌汁ではなく、オニオンスープで。
そしてこの航海の為にわざわざ積み込んだと聞く食器類、そのひとつ重厚な大型の小判皿が登場して来た。
お約束の写真撮影も、念の為に2枚撮りで。
実は「南下コース」では直江津港停泊中に、上越市役所主催の「上越市内ミニツアー」が計画されていて、試験寄港の乗船予約段階から直江津港停泊中にこのツアーに参加するか否かの、問いかけがあった。
更に室蘭港での乗船受付時にも、この確認が行なわれたのだが。
同室者にこの件について尋ねたところ、全員参加であったが、とはいっても3名なのでら最少催行人員に達していないし、どうなるのだろうかと心配をしていたところでもあった。
が、船内放送ではツアー参加者の下船時刻の案内があり、取り敢えず催行するようなのでひと安心。
佐渡島を右手至近距離に見ながら航過し、入港30分前に直江津港外に到着した。
ほぼ予定通り。
船長の「オモテ、トモ、入港スタンバイ」の放送が、何故か聞こえてきてしまうのだが、私たちの船室に。
半速で直江津港に接近、港内では岸壁前で左回頭して右舷を接岸させる。
回頭中に岸壁で写真撮影をする一団を、否応なく見つけてしまった。
実はネット掲示板で、有名な女性ブロガーRさん御一行4名様が、直江津港から境港まで乗船されることが分かっていたので、様子を伺っていた。
が、直江津港からの乗船者は車両の積込みがあるので、ツアーには参加出来ないであろうという先入観念があり、御一行とは乗船後にご挨拶をしようと思っていた。
ネット上ではやりとりがあったものの、実際にお逢いするのは初めてのこと、少なからず楽しみにしいたが。
直江津港では荷物は部屋に置いたままで良く、13:10の出発案内放送に従って手ぶらで案内所前に集合した。
ここからはリベラ社員の先導でエレベーターへ、エレベーターの操作まで社員の方がして下さり恐縮至極、更に下船口では本船の事務部員がお見送り、下船口前には既に上越市役所のマイクロバスが待機していた。
何という厚遇なのか、それに見合う支払いはしていない筈だが。
こんな思いが、この先幾度もあったことだった。
ああ、参加して良かった、参加出来なかったお方には本当にお気の毒なことでしゅ。
いざマイクロバスへ乗車、車内には上越市役所の担当者1名と、何故か妙齢のご婦人お一方が。
境港金沢港試験寄港メモリアル その7
DATE: 11/29/2006 14:06:42
マイクロバスは「ニューらぶ」乗船口前から直江津港ターミナル前に移動した後、ここで例のご婦人が下車してターミナル内へ入って行かれた。
新聞記者かなと思っていたところ、やがて直江津から乗船するRさん御一行を伴って戻って来られた。
直江津乗船者が参加出来るのか、で新聞記者ではなさそうなので私の前の席に座られたこのご婦人に、直接聞いてみました。
「○○○○研です」のお答え。
今回の試験寄港でのアンケート調査受託会社の社員で、直江津から乗船されるようでした。
御一行とは後ほど挨拶をした。
***** ***** 上越市内ミニツアー細目 ***** *****
名称 「謙信・親鸞ゆかりの地と特産品ミニツアー」
時間 平成18年9月2日(土) 13:10~15:20
行程 13:10 直江津港東日本フェリーターミナル前発
13:20 五智国分寺着
13:35 五智国分寺発
13:45 春日山城跡ものがたり館着
14:05 春日山城跡ものがたり館発
14:10 林泉寺(車窓より)
14:15 春日山神社着
14:30 春日山神社発
14:45 上越観光物産センター着
15:05 上越観光物産センター発
15:20 直江津港東日本フェリーターミナル前着
催行人員 最低5名より最大25名まで
参加費 無 料
受付 8月31日(木)までに電話等で申し込みをお願いします。
新潟県上越市観光企画課
***** ***** ***** ***** ***** ***** *****
ツアーの各所の説明は省略するが、上越市役所担当者の案内は
下車地のみならず、車内走行中も懇切な説明が続き、時には一時
停車をして車窓からの観光もあった。
同室者は歴史通だったが、総じて満足されていた。
最後に観光物産センターで、休憩と地元物産のおみやげタイムも設けられていた。
今直ぐに食べられる地元名品はないかと探して見て、「ささにしき
アイス」を食べることに。
停泊中の時間潰しに参加したものの、意義有る内容に感銘すら覚えた
ほどだ。
上越市役所の担当者○○さん、有難うございました。
マイクロバスは先ず直江津港ターミナル前に停車して直江津港での乗船者を降ろし、室蘭からの乗船者は「ニューらぶ」乗船口まで送って頂いた。
連絡が届いていたのか、乗船口では事務部員とリベラ社員のお出迎えを頂いた。
直江津港停泊は僅か3時間、15:50にはここからの乗船者10数名を乗せて次港金沢港へ向けて出港した。
金沢入港予定時刻は22:40、能登半島を迂回する貴重な経験をさせていただいた。
能登半島先端の通過ポイント「禄剛崎」を楽しみにして。
Rさん御一行4名様とは18:00に夕食をご一緒させて頂くお約束を頂いた。
境港金沢港試験寄港メモリアル その8
DATE: 11/30/2006 08:02:50
直江津港を定刻に出港。
金沢港へ向かう船内は直江津港からの乗船客で、多少賑わいを見せ始めた。
レインボーホールのコーヒーサービスに気付いて、利用される方も少なからずだった。
それにしても本船の、何時もながらの紙コップサービスはご立派だ。
1個10円で販売している船もあるご時勢に。
相変わらず夏場の日本海は平穏そのもの、全くの揺れなしに物足りなさを感じる程で。
18:00、夕食の案内放送と同時にレインボーホールで、お約束の御一行4名様と夕食卓を囲むことになった。
私を含めると5名なので中央の円卓)というよりも大テーブルに陣取ることに。
Rさんのご主人Wさんが気を利かせて下さり、Rさんと隣り合わせにして頂いた。
ご夫妻以外のお二人は、SさんとHさんで何れも男性、相部屋にならない様にルームメートを募り、これに応えられて参加、途中から同乗されて来られた。
配膳された夕食は添付写真の通り、量、質共に十分過ぎるものだった。
デザートの夕張メロンは、この航海中ずっと続いたことでした。
配膳係りの女性クルーが、「へすていあ」から臨時派遣されていることに気付かれたRさん、さすがですね。
実はRさんにお逢いしたら、2つのことをお伝えしたいと考えていた。
その一つは、「船旅を流行らせる」のキャッチコピーを考えられたご本人でもあり、多分考えに考え抜いて生まれたものではなく、瞬間的な閃きで生まれたものでしょうが、この素晴らしいコピーを折りにふれ使い続けて欲しいということ。
もう一つは、以前からお伺いしていた、女性だけの船旅同好会を作りたいというご希望を、時間がかかっても実現させて欲しいということだった。
途中、夕陽撮影の為に退席されたが、予備を含めたその撮影機材の充実ぶりに、驚かされた。
また食事を中断されて撮影に向かう意気込みに、圧倒された。
これからのご活躍を期待してます。
御一行の下船地は境港、ここからその日の内にクルマで東京まで戻られるとのことだったが、そのクルマがマニュアル車と聞いて、ただ只管感心したことで。
レインボーホールはかなりの席が埋まって、活気があった。
が、今夜金沢港からの乗船客が乗り込まれると、これが混雑に変わるであろうことは、想像がついた。
南下コース、北上コースともに境港~金沢間は、旅行代理店がこの試験寄港に合わせて、大阪駅発着のツアーを組まれており、このツアー枠が最も員数が多いことは事前に分かっていたので。
通過ポイント、能登半島先端に位置する「禄剛崎」灯台の灯りを薄暮状態で確認が出来て、これも満足のいくものだった。
それにしても直江津から金沢まで、能登半島を迂回して海路で等ということは、普段体験出来ないこと、妙な満足感があった。
直江津港から金沢港までの乗客もおられる様子、折りしも2日は土曜日でもあり、凡そ7時間の「能登半島周回クルーズ」として参加されておられるのか、はたまた金沢以遠が満席で船席確保が出来なかったのか、知る由もないのだが。
第2日夕食
境港金沢港試験寄港メモリアル その9
DATE: 12/02/2006 13:08:48
金沢港の入港予定時刻は22:40、本船は初めての入港ましてや夜間であることから、パイロットが乗船された。
パイロットが本船に移乗後、パイロットボートは本船の前を回転灯を点灯させて、着岸埠頭の「戸水埠頭(とみず)」まで先導していた。
戸水埠頭は金沢港の玄関、客船入港時もここか又は隣の無量寺埠頭が使用される。
岸壁を前にしての接岸作業に通常より時間が掛かっており、パイロットが操船していることが容易に分かった。
通常岸壁でありフェリー岸壁特有の防衝工などなく、ゴツンと横腹をぶつけたりもしていた。
岸壁上は路面が結構傷んでいるのが、船上から見て取れた。
時間を要した接岸作業が完了して、まず先に降り立ったのがパイロットだった。
別に制服を着ているわけでもないのに、何故か分かってしまいますね。
右舷前部にあるサイドランプが降ろされて、ここから積み込まれるキャタピラ重機が自走して船内に吸い込まれて行った。
その数13両、キャタピラ車は10割増し、稼ぎになりますね。
ここ金沢港からの乗船客の姿は見えず、未だみなと会館にいるのだろうか。
一方、船内サロンで行なわれる予定の歓迎セレモニーの準備で、関係者が慌しく乗船して来た。
ここで「入港記念プレート」の贈呈などが行なわれる予定なのだが、船内には案内放送もなく、歯切れの悪い結末だった。
要するに見たいと思ってレインボーホール周辺に待機していた乗客でも、見られなかったということだ。
「入港記念プレート」の贈呈はサロン等の狭い閉鎖区画ではなく、誰でも見れるような広い場所で公開で行なって欲しかった。
ほとんど無風、陽気も寒くなし、岸壁でも良かったのに。
北上コースの金沢港停泊中のスケジュールは、充実したもののようだった。
***** ***** ***** ***** ***** ***** ***** *****
■ 北上コース
9月3日(日)境港→金沢 6:30着 15:00発
歓迎セレモニー 6:40頃~ 戸水ふ頭にて
友禅華太鼓にて入港歓迎
入港記念プレート・花束贈呈 (船長等へ)
乗客へのサービス 金沢駅までバス運行(路線バス使用)発車8:00頃
市内定観9:00駅発~ 12:30 駅着 増便可
金沢市内観光案内(入港後、船内にて)市観光協会より人員派遣
下船客全員へ記念品贈呈 (あぶらとり紙)
観光施設の優待等
無料観光案内「北前船の里をめぐる」8:45発、
からくり記念館、もろみ蔵、銭屋五兵衛記念館、
金沢駅経由、兼六園で解散(11:30頃)
「シティガイド」全員配布による観光施設割引
からくり記念館で北前船の解説(30分・俣田氏)
兼六園・金沢城等32箇所 入場料約2割引
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接岸作業に時間を要したので、金沢港での実際の停泊時間は、予定の2時間を切る結果に。
南下コースの金沢港は最初から無いものと思っていたが、それにしても楽しからずや。
金沢港からの乗船者は旅行代理店が募集した大阪駅発着のツアー客が殆どだが、船内は満席に近い状態になった。
私たちの船室にも空席が1つあったので、この区間(金沢~境港)は埋まるのではないかと、同室者と話していたところだったが、空きのままで済んだ。
00時を過ぎても船内は大混雑、レインボーホールの冷食自販機で食事をとるお客が多数いた。
間もなく金沢港戸水埠頭を出港。
金沢港は夜間入港 戸水埠頭は客船が接岸する埠頭
境港金沢港試験寄港メモリアル その10
DATE: 12/09/2006 06:40:25
北上コースの「ニューべる」との行き合い予定時刻は03:30頃、深夜帯で撮影も無理な為に早起きはパスした。
夜が明けると山陰沖を航行中、天気は雲が少しあるものの全体的に晴れ模様、風は微風、やがて鳥取県沖に差し掛かると、ひときわ高く聳え立つ大山(だいせん) が視野に入ってきた。
大山を見たことがない人にも、これが大山だと分かる。
境港は鳥取県の西端に位置する為、鳥取沖を一路境港を目指す。
遊歩甲板には三々五々朝の散歩を楽しまれる方達が、カメラ片手に入れ替わり立代わりに現れる。
船内の混雑は思った程ではなく、昨夜の金沢港が遅かったので未だ寝ているお客さんが多いようだ。
第3日目の朝食は客船なみのツーシーティング、寝台番号で指定された。
私たちは後組だったが、相変わらずリベラ社員のお出迎えと案内で席に。
後組みの朝食が始ってしばらくすると、平行して操舵室見学会がこちらも寝台番号で指定されて3組制で始まった。
この頃になってようやく船内の混雑が見られるようになった。
ても殆どの方達が、間もなく入港する境港で下船されるのだが。
いずれにしても境港では全員が一旦下船する必要があり、船内残留は許可されていない。
原則として荷物もすべて引き上げなければならないとのことで、こちらの扱いが面倒に感じられた。
境港入港予定時刻は09:25、09:00頃境港水道と外港の分岐点を通過して、左手の境港外港へ向かう。
そのまま真っ直ぐに境港水道を進行すると、境港大橋をくぐり境港本港に着く。
JR境港駅前にある隠岐汽船のりばや、テレビで頻繁に登場した北朝鮮貨物船の着岸も、こちら境港本港になる。
あらかじめ発表されている境港での予定は
***** 資料引用ここから ***** ***** ***** *****
9月3日(日)金沢→境港 9:25着 19:00発
1.歓迎セレモニー 9:30頃~
□ 大漁太鼓にて入港歓迎(船内アナウンス)
□ 船長への入港記念プレート等贈呈(船長)
□ お客様代表への花束、プレゼント贈呈(乗客代表)
(プレゼント:鬼太郎グッズ、トリピーグッズ等)
□ 境港駅までのバス運行(25人乗りマイクロバス)
1便:10:00頃発 2便:10:20頃発
2.乗客への案内等
□ 臨時観光案内所の設置
□ 物産等の販売
3.優待等
□ 水木しげる記念館等の優待
水木しげる記念館無料
4.見送り
18:30頃
□ 着ぐるみによる見送り
***** 資料引用ここまで ***** ***** ***** *****
このうち着ぐるみによる見送りが、境港からの乗客少数の為に省略されたが、他は予定通りに実施された。
第3日朝食
鳥取県沖 大山遠望
境港 右手境水道 左手境港外港
境港金沢港試験寄港メモリアル その11
DATE: 12/10/2006 11:29:37
境港外港の最奥端、昭和南埠頭の鳥取県緊急用岸壁近くに接岸される。
大漁太鼓と鬼太郎着ぐるみがお出迎え、ところが接岸に時間を要している為、疲れてしまって太鼓は休憩、鬼太郎も背を向けて近くの子供と雑談、そりゃそうですよね。
始めるのが早すぎたのですよ。
さて下船となると継続乗船するお客にとって問題が、荷物をすべて引き揚げなければならないのだ。
境港での停泊時間は長く約9時間半、荷物は無い方が何かと好都合、同室3人で相談の結果、案内所に預かって貰うよう交渉しようということになり、下船時に荷物を持って案内所へ、こちらは快諾してくれました。
とにかく一旦全員が下船することになる。
事前に配布されていた物産販売申し込み用紙、それは「梨」だった。
鳥取は二十世紀梨の本場、しかもシーズンですからね。
下船後、本船前に設置された仮設デント内の受付所は、結構混雑していた。
境港駅までのバス2台が用意されており、20分の時間差で2便運行された。
勿論無料で。
ツアー客は専用のツアーバスが待機しており、殆どの方はそちらに乗られた。
09:00発境港駅までのマイクロバスに乗ったのは、数名しかいなかった。
境港観光の目玉「水木しげる記念館」では、今回の試験寄港参加者に無料優待の特典が頂けたそうだが、境港だけで丸一日時間を消化するには厳しいものがあるので、同室2名と相談の結果「出雲大社」まで遠征することにした。
他のお二人は初めてとのことで、必然的に私が案内役に。
境港駅(JR境線)→米子駅(山陰本線特急)→出雲市駅(一畑バス)→出雲大社、往復同じルートに決定。
小樽からの同室者が時刻表を持参していたため、時間に余裕はないものの17:00頃に境港駅に戻れる予定であることが分かった。
「水木しげる記念館」は境港駅から徒歩圏内にあるが、大社行きとなるとこちらは諦めざるを得なかった。
接岸場所の昭和南埠頭とJR境港駅はクルマで10分足らずの距離、道も分かり易く健脚なら歩くことも簡単だ。
私は通常、青森駅→青森フェリーターミナル約4キロ等を歩くので、時間潰し、寄り道観光を兼ねての徒歩アクセスは意外と楽しいかも知れない。
ここがフェリーターミナルになるとは決まっていないが。
境港での時間潰しも終了、予定通り17:00に境港駅に戻ってこれた。
駅前からタクシーで本船に戻る。
運転手に「昭和南埠頭のニューらぶまで」と告げると、「フェリーですね」と返事が返ってきた。
皆知っているようですね、本船が入港していることを。
昭和南埠頭入口ゲートで警備員に一旦停止されたが、「パスポート」を見せるとなんなく「どうぞ」、パスポートの威力確認。
本船への戻り時間、つまり再乗船は17:00以後と指定されていた。
時間はOK、本船前に横付けすると、リベラ社員2名が待機しており、乗船者リストでのチェックがあった。
乗船してみると「○○○○研」の女性社員がいらっしたので、ここから博多までの区間乗船者がいるのかを尋ねてみると、「おりません」のお返事、ああ矢張りそうだろうなと思ったことだった。
預けた荷物を受けとり船室に戻ると、ベッドメイクがされていることは勿論なのだが、アメニティが再度供給されており、例の「NEW RAINBOW LOVE」のタオルも新たに添えられていた。
レアグッズとなるこのタオル、結局2枚頂けた。
境港金沢港試験寄港メモリアル その12
DATE:12/11/2006 10:07:20
殆どの船客は下船となり、ここから更に残り区間博多まで乗船する船客は10名程度となった。
船内は閑散としており、誰もいない展望浴室で最後の入浴を済ませ、この3日間預かり続けていた貴重品ロッカーの鍵の、案内所への返却を済ませた。
18:30から夕食の予定なのですが、事前に船室までリベラ社員が来られ「最後の夕食はスタッフ共々さよならパーティー」にする旨を伝えてくれた。
同室者も明日の早朝下船に備えて、荷物の取りまとめに忙しく立ち振る舞っていました。客船なら差し詰め下船前夜の「フェアウェルパーティー」といったところなのだが、それにしても厚遇だなとつくづく感心すると共に、既に下船してしまった船客がお気の毒に思われることしきりだった。
指定時刻に同室者とレインボーホールへ、入口で何時ものようにリベラ社員が笑顔でお出迎え、これも最後かと感慨深いものが。
食事券を渡してホール内に入ると、オードブルと飲み物の準備が整っており、ご自由に始めて下さいとのことなので、まずお決まりの写真撮影を済ませた後に、オードブルを一通り取り皿に盛り合わせて自席に運び、次にお酒ですが、ウイスキー、ワイン、焼酎、日本酒、ビールなど、総てが高価なものでまとめてあった。
ウイスキーが某メーカーの12年ものなので、最初の一杯は是非これを味わいたく、水割りを作りました。
こんなに高級酒が揃っているとも知らずに、同室者は今日出雲市で購入した日本酒の地酒を持ち込んでいた。
こちらにも日本酒の銘柄があるのに気付き、両方を飲み比べたりもしていたが。
今回の試験寄港には、リベラ社員が数名同乗していることは当然なのですが、北上コースにはリベラ社長が、南下コースにはリベラ執行役員がそれぞれ乗船されておりました。
この執行役員のご挨拶、続いて今回乗船しているリベラ社員の紹介があり、普段の勤務地や担当業務について簡単に紹介があり、船客10名スタッフ数名による、さよならパーティーが始まった。
19:00出港予定、外にはタグボートが船尾付近にスタンバイしているのが、窓から見て取れた。
スタッフ紹介の際に席を外していた若手社員が、わざわざ私の席を訪ねてこられて、自己紹介を頂いた。
つい最近オーストラリアの高速フェリー建造所から出張で戻られたそうで、立ち話ながら進捗状況について簡単に説明があった。
私からは日本への回航について、所要日数や途中補油寄港地などについて、少しばかりお尋ねした。
境港金沢港試験寄港メモリアル その13
DATE: 12/12/2006 11:40:19
今回の試験寄港で使用する食器類は、わざわざ積み込んで来たもので、パーティーや食事に使用されているグラスや陶器類は、立派なものであった。
高級ウイスキーの味見が終わった後はワインで行くことにして、女性クルーにコルク抜きをお願いした。
一旦厨房に持っていかれたので、調理場で開けているのかな。
普段ガブ飲みしているワインとは、クラスの違うものでした。
カジュアルフェリーの船内で高級ワイン、違和感がないわけではないのだが。
実は今回の接待役として乗船されているリベラ執行役員は、元運輸省から旧東日本フェリーに移籍されたキャリア、又私と同室者のひとりが国土交通省のOBで、お互い仕事上でかなりのお付き合いがある事を知らされていた。
昨日第2日の夜もレインボーホールの片隅で、おふたりで酒酌み交わしておられる光景に接していた。
こうした関係からパーティーが始って間もなくして、この執行役員Sさんが私達同室3人のテーブルにやってこられて、名詞を頂きました。
後刻、組織図で調べたところ、リベラではフェリー事業部のトップでおられることが分かった。
名詞を頂いての開口一番、「厳しい批判は真に思って頂いている証拠ですから」という社交辞令、「はぁ?」と思ったのですが、やはりあのことかな。
思い返すと第2日の直江津でのミニツアーでのこと、今回の調査会社「○○○○研」の女性社員が私がネット上で、「定期船」のHNで書き込みをしていることをご存知のようで、「東日本フェリーの社員も結構見ています、私もROMしています」と仰っていた。
パーティーが始った当初、執行役員Sさんとこの女性社員は同じテーブルにいらっしたので、ここで伝えたのかも知れない。
それで私にだけ名詞を?かな。
チョットばつが悪かったのだが、随分と酒が入っていたもので思考能力が落ち、細かいことは気にせずに、平然とお話を続けることにした。
オードブルがなくなる頃、食事が配膳されたが、テーブルが狭い為にごはん、スープ、デザートは後ほどにしますとのお断りが。
夕食のメニューでは珍しい「エゾシカ」のルイベが、茗荷や葱などふんだんの薬味が添えられて供された。
この薬味の量からして、かなり臭味があるのかなと思いきや、それ程のこともなく珍しさも手伝って、酒の肴として美味しく頂けた。
第3日夕食 エゾシカのルイベが珍しい
境港金沢港試験寄港メモリアル その14
DATE: 12/13/2006 08:48:42
ここで途轍もない内部情報を得られるとは努々思っても見なかったのだが、東日本フェリーのこれからの展開に関しての諸々のネタを頂くことが出来た。
ここで自問自答、「これだけの情報を持ち帰れるか ? 」「書き留めないと無理です」、そこで船室に戻ってから、忘れない内に克明なメモをとり要点を書き留めることにした。
執行役員Sさんからの情報のヘッドラインは、以下のように多岐に亘り、これを惜し気もなくご提供下さった。
日本海航路:境港金沢以外の寄港地、運航形態、年間航海次数など。
青函航路:新設されるのりば、2008年以降の在来船の扱い、高速フェリーのメンテナンス方法など。
べるらぶ:太平洋への異動など。
その他:苫小牧西港フェリーバース拡張、苫八、等々。
食事も半ばに差し掛かり女性クルーが、「ごはんとスープをお持ちしてもよろしいですか」との問いかけに、全員デザートのみをオーダーした。
デザートは3日間続いた夕張メロンでこれが最後、今度食べられるのは何時の事かと考えをめぐらしたことだった。
思い返せば2005年夏、「パシフイックエキスプレス」海外公募に際して、当時リベラは強い取得願望をもっており、取得後の日本海航路への展開計画も存在していた。
この計画は外部に明かされることはなく終わったのだが、私は運よくリベラ社員からこの計画の概要を得ることが出来た。
驚嘆に値するといって良いかも知れないこの計画を、私は「夢の日本海航路計画」と称してその存在を何度かネット上に書き込んだことだった。
あくまで計画の存在だけだったが。
ここでは今回の試験寄港にも、2007年以降の日本海航路にも、その片鱗を窺い知ることが出来ると申し上げておきましょう。
同室の国土交通省OBと執行役員Sさんとの話題も、苫小牧西航路でのフェリーと貨物船との衝突事故や、石狩湾新港に関することなど運輸省時代の専門的な内部情報に興味をそそられたことだった。
そしてニュースにはならないが、社内的には事故扱いされるフェリーと岸壁との接触事故が結構あることなども知り得た。
商船大学卒の船長と海技大学校出身の叩き上げ船長との違いや、その事故率などここでは言えない内容が、あからさまに曝け出されていた。
パーティーが始っておよそ2時間、他の船客は三々五々帰り始めてレインボーホールは私達のテーブルと、中央丸テーブルのリベラ社員と調査会社女性社員のグループだけとなった。
こちらから切り出さないと悪いと思い、私だけ先に皆さんに謝意を表して船室に引き揚げた。
間もなくして同室者も帰って来られ、楽しかった一夜が終わった。
明日は早朝05:30着なので誰言うともなく、早めの就寝となった。
私は情報の書き留めを済ませてからベッドに入ってみたものの、物凄い情報にやや興奮気味でなかなか寝付かれなかった。
第3日 夕食パーティー
境港金沢港試験寄港メモリアル その15
DATE: 12/14/2006 07:40:33
夜が明けきらぬ04:30頃には、同室全員が起床して下船準備が始まり、楽しかった旅の終着博多港の灯りが、遠望できるようになった。
リベラ社員が、下船後博多駅までのタクシー手配の要否について、問い合わせに来られたので1台の手配をお願いした。
「オモテ、トモ、スタンバイ」例の放送が、微かに聞こえてきた。
下船に際して重要なアンケート用紙の回収がある為、下船時に渡す分を準備して、帰宅後郵送提出する分は記述部分が多いので、一旦持ち帰り丁寧に記入してから提出することにした。
同室者は両方ともに下船時に提出するようだ。
いずれにしても「モニター」として乗船している訳で、この調査は根幹に係わる部分であり、あたや疎かには出来ません。
航路に入り半速からやがて微速に、中央埠頭が目前になる頃に、足掛け4日間お世話になった船室を後に、エントランスに移動する。
アンケート調査用紙を例の女性社員に渡して、ロビーで接岸を待つ。
乗用車での乗船客が案内放送に従って、同乗者共々車両甲板に降りて行かれた。
徒歩下船の4名だけが待機、船体が岸壁に繋がれてゆく頃には外に出て、中央埠頭のターミナルを眺めて博多港着の実感を味わう。
エントランスから外に出たところで、執行役員Sさんと調査会社の女性社員お揃いでの見送りを受けた。
接岸作業が完了して「どうぞ」の声で、リベラ社員の案内でエレベーター経由で下船口に向かったが、驚いたことに下船口に船長がお立ちになっておられた。
多分接岸作業完了後、駆け足でここまで来られたのではないかと思われる。
謝意を表して下船、待機のタクシーは2台で男性おひとりが1台、我々同室3人で1台、ようやく夜が明けた博多港中央埠頭から博多駅へと向かった。
最後にこの就航計画を主催された国土交通省海事局、運航元のリベラ株式会社、直江津港、金沢港、境港各寄港地の関係団体の皆様に、厚く御礼を申し上げます。
博多港中央埠頭 東日本フェリーターミナルに接岸
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