琉球海運 えめらるどおきなわ 復刻2007 07 21
琉球海運 えめらるどおきなわ 復刻2007 07 21
えめらるどおきなわ
琉球海運 えめらるどおきなわ その1
船名:えめらるどおきなわ
総トン数:6,150トン
主要寸法:全長126.0m 型幅22.0m 型深13.1m
主機関:ディーゼル 10,000PS×2基
航海速力:21.0ノット
船客定員:603名
竣工:1974年(昭和49年)
建造所:神田造船所
航路:那覇~博多
元々博多航路用として建造され、昭和50年2月、那覇~博多航路の開設と同時に第1船として、投入された。
在来型貨客船からRORO型貨客船に転換され、1番船「ごーるでんおきなわ」(大阪航路) に次ぐ2番船として建造された。
3番船の「だいやもんどおきなわ」(東京航路) が就航した頃、沖縄海洋博開催当時までが琉球海運最盛期であった。
博多航路は 「ごーるでんおきなわ」 との2隻体制で、週3便運航されていたが速力差がある為
博多港博多埠頭発17:00 → 那覇安謝埠頭着(翌日) 19:30 (E/O) 21:00 (G/O)
那覇安謝埠頭発14:00 → 博多港博多埠頭着(翌日) 15:00 (E/O) 17:00 (G/O)
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AUTHOR: ポンポン船の船長
DATE: 07/21/2007 08:00:55
TITLE: おはようございます。
私が知っている運航スケジュールとは違いがありますので、幾度と無く運航スケジュールが替わっていたんですね、80年代位なので。 今の博多港は様変わりしていると思われますが、私が知っている博多港は九州郵船と野母商船、時々登場するこの琉球海運の航路しかなかったのですが、えめらるどおきなわが入港すると、なんだかターミナルより大きく感じ、ダイナミック! こんな言葉がぴったりな船のように思っています。
80年代の博多航路は、なんだか意地で運航していたような、ないような、、、、
ところで野母商船の太古も随分様変わりしているようですね、私が知っているのは、500トンを切るマストが映える太古だったんですが、今の太古は1000トン以上の綺麗な船になってるんですね。
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AUTHOR: ふねきち
DATE: 07/21/2007 08:19:53
えめらるどおきなわ・・・船好きになったあとに地元に沖縄行きの船が・・・で知った素晴らしい船です。
旅客需要が少ないこともあって船室などの痛みも少なく、晩年まで年齢の割に綺麗な船室をキープできました。
速力も意外に早く上りに至っては2時間早着なども体験した事があります。
思い出が尽きない船ですので、後は昼休みや夜などにも思い出の話しを・・・。
博多湾納涼船でも大人気の企画、船でした。
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AUTHOR: 定期船
DATE: 07/21/2007 08:55:11
TITLE: ポンポン船の船長さん
まいど、おはようございます。
琉球海運は内地の人ではなく、沖縄人の利便を考えて運航します。
博多航路も鹿児島で下船した後、博多まで行く人が多かったことから、開設されたと聞いています。
「えめらるど」 は博多航路で一貫していましたが、「ごーるでん」 は大阪航路、東京航路と動きが激しかったです。
この後、「わかなつ」 との2隻体制もありましたね。
野母商船、昭和54年就航の 「フェリー太古」 「フェリー清信」 460トンのことだと思いますが、現在の 「太古」 は1,260トンと大きくなりましたが、1隻だけの運航で福江 → 博多が昼航海になってしまいました。
船旅派には好都合なのですが、交通機関として利用する方には、やはり不便なのでしょう。
私が九州人を羨ましく思うのは、この野母商船の博多五島航路と、十島村のトカラ列島航路が近くに有るということからです。
多くの島々に寄りながら航海を続ける、なんて素晴らしいことでしょうか。
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AUTHOR: 定期船
DATE: 07/21/2007 09:09:34
TITLE: ふねきちさん
この航路は九州西岸を走る唯一の長距離航路として、その価値は大きかったですね。
鹿児島から博多まで行く人が多い、ということから開設されたにしては、確かに旅客少な過ぎました。
私の経験は平均10人程度、2等客なし1等客だけなんてこともありました。
その割には長く続けてくれたものです。
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AUTHOR: ふねきち
DATE: 07/21/2007 10:30:08
博多ー沖縄航路は、満席になるのは夏休み期間中の「少年の船」や「B&G」、自衛隊輸送が主でした。
少年の船の時は、たまにさんしゃいんおきなわとぷりんせすおきなわが鹿児島航路と入れ替わり数度博多に訪れた事もあり、那覇発ー博多行きぷりんせすおきなわにも乗船した事があります。
この航路は・・。
えめらるどおきなわ
えめらるどおきなわ/ごーるでんおきなわ
えめらるどおきなわ/ごーるでんおきなわ/さんしゃいんおきなわ
えめらるどおきなわ/さんしゃいんおきなわ(たまにぷりんせすおきなわ)
えめらるどおきなわ/わかなつおきなわ
わかなつおきなわ/かりゆしおきなわ
わかなつおきなわ/ROROでにらいかない等・・・。
で今は旅客輸送は無くなりました。
特筆では、博多まで来たごーるでんおきなわが韓国麗水まで週1~2便、後に週3便福岡国際フェリーとして運航していました。
その補完として一時期さんしゃいんおきなわと3隻で博多ー那覇を運航していた時期もあります。
(短かったですが・・・)
すぐに韓国G/Oが売却されてしまいましたが・・・。
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AUTHOR: ふねきち
DATE: 07/21/2007 12:20:23
琉球海運のRORO貨客船の中で、航路の移動がほとんど無かったのは、この「えめらるどおきなわ」と「ぷりんせすおきなわ」ですね。
小型で定員の少ない「さんしゃいんおきなわ」は、東京航路にも入った事があります。
白い船体に朱色で「RKK LINE」が入ったカラーリングの「かりゆしおきなわ」が就航するまで鹿児島航路から転配されていました。
大阪航路もV字運航で、大阪ー那覇ー鹿児島ー那覇ー大阪に「ごーるでんおきなわ」を運航させその後「わかなつおきなわ」に変更。
大阪航路の旅客サービス廃止を受け、博多ー那覇ー宮古ー石垣ー那覇ー博多ー那覇ー鹿児島ー那覇等に頑張っていました。
博多に2便わかなつおきなわが来る時には、えめらるどおきなわが博多ー那覇ー宮古ー石垣ー那覇ー鹿児島ー那覇ー博多などに付いていた時期もあります。
年に一回だけ休航日を利用して、博多湾納涼船は狭き門で賑やかでした。
当時ではこんな大きな納涼船は無く、大型フェリーデッキで皆楽しんでいました。
少年尾の船でも大活躍で、朝は船上デッキでラジオ体操をしていたり、本部港に寄港したり・・・懐かしいですね。
定期船さんが言われるように、五島灘などを抜け西側を航海する唯一の定期航路だったので物凄く残念です。
平戸を越した辺りで左に大きく曲がりひたすら南下・・・。
伊江島沖から沖縄に近づく航路も独特でした。
船員さんも皆気さくな方で楽しい会話も思い出されます。
レストランで夏の高校野球で興南高校が試合していた時など大騒ぎで応援・・・良い雰囲気でした。
ステーキハウスの安くて上手い地元の人が行く所を教えてもらったり・・・。
野母商船は、昔は「清新丸」「太古丸」の貨客船が就航していてフェリー化で「フェリー太古」「フェリー清新」500トン型が就航しました。
この時代から数回乗船しました。
当時は、博多ー平戸口ー生月(舘浦)-宇久(平)-小値賀ー青方ー若松ー奈留ー福江航路でした。
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AUTHOR: 定期船
DATE: 07/21/2007 12:31:13
TITLE: 「にらいかない」 に乗りたかった
驚きですね、知りませんでした。
「にらいかない」 が臨時に博多~那覇航路に配船されていたとは。
乗りたかった、12名なのでしょうが。
次が 「博多~麗水」 、福岡国際フェリーの前に配船されていたとは。
今、福岡国際フェリーのパンフレットを探して見ましたが、「 G / O 」 の写真が、そのまんまで乗っていますね。
こんなに凄まじい動きがあったとは、完全に見落としていました。
貴重な情報を有難うございます。
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AUTHOR: 定期船
DATE: 07/21/2007 12:53:20
TITLE: 貨客船 太古丸 清信丸
昭和40年代に建造された、貨客船 「太古丸」 「清信丸」 (200屯) 、知っている人は少ないですね。
「さんしゃいんおきなわ」 新造時は臨時ではなく正規配船で東京航路でした。
「かりゆし」 就航で玉突き配転だったと思います、大阪航路へ。
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AUTHOR: ふねきち
DATE: 07/22/2007 20:00:02
1981年(昭和56年)
さんしゃいんおきなわは、一旦鹿児島ー那覇ー宮古ー石垣航路に就航しています。
その後に、だうやもんどおきなわが西日本汽船に売却された後に(ゆうとぴあ)東京航路に転配されたと思います。
(ピンチヒッターでG/Oが入ったかな?)
かりゆしおきなわ就航するまで東京航路をカバーしていたと・・・。
当初の定員270数名から217名に減らしたのは、鹿児島航路から東京(のちに大阪航路もあり)に転配したとき減員したような記憶があります。
大阪航路も、わかなつおきなわが去ったあとにさんしゃいんおきなわが復活したり・・・旅客復活というより船舶の便数確保の為のシフトが多くなっていきましたね。
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AUTHOR: ふねきち
DATE: 07/22/2007 20:11:22
今の博多には沖縄行きは、RORO船しかやってきません。
フェリー海龍・にらいかない・みやらび(たまにしゅれい)・うりずん うりずん21ですかね。
晴海汽船など居た時は他に・・・
ぎおん丸、フェリーきりしま、海龍11、フェリーたかちほ・・・にぎやかでした。
今でも土曜日は、南日本汽船、有村産業、琉球海運と3社出港便があります。
それなのに1便も旅客便が無い・・・寂しい事ですね。
この航路は前にも書きましたが、素晴らしい航路で日本で唯一の西海岸ルート?だったのですが。
有村産業や大島運輸(マルエーフェリー)が中古船でも旅客便を運航してくれないかなあ・・・もしくは関西便の寄港でも・・・。
実は九越フェリーの九州側のパートナーだったハヤシマリンカンパニーの社長は、北海道と直江津そして博多に延びた物流のショートカットを(別の船で)沖縄そして台湾まで伸ばすのが夢と話していました。
ハヤシマリンカンパニーは、韓国系の海運会社には強かったので、後々は南ではなく韓国側に目が行っていたようですが。
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AUTHOR: 定期船
DATE: 07/22/2007 20:42:57
TITLE: 「さんしゃいんおきなわ」
「だいやもんどおきなわ」 が異動するまでは、当然他の航路ですよね。
「ぷりんせす」 「さんしゃいん」 このコンパクトさ良いです。
博多~那覇航路、有村の 「海龍」 のように、貨物でも旅客船並の船体塗装と船名を付していることが、嬉しいです。
マルエーは例の 「フェリーたかちほ」 を旅客フェリーと間違えるという理由から、「たかちほ」 に改名してしまいましたね。
一部 RORO 船が徒歩客を乗せていますが、博多~那覇航路 RORO で出来ないものですかね。
貨物に乗るとなると異常に燃える方なもので。
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