琉球海運 だいやもんどおきなわ 復刻2007 01 31
琉球海運 だいやもんどおきなわ 復刻2007 01 31
だいやもんどおきなわ
琉球海運だいやもんどおきなわ その1
DATE: 01/31/2007 10:18:05
琉球海運の東京~那覇航路は、1967年(昭和42年)7月に一般旅客船航路として開設された。
大阪、博多、鹿児島からの発着と併せて4航路、
大阪~那覇 1,233キロ
博多~那覇 954キロ
鹿児島~那覇 682キロ
と比較しても遥かに長い1,655キロの長距離であった。
就航船も初代の 「ひめゆり丸」 は鹿児島航路からの配転であったが、2代目以降は 「とうきょう丸」 「なは丸」 と、新造されると先ず東京航路へ就航されるのを常としていた。
1972年(昭和47年)12月の 「ごーるでんおきなわ」、1975年(昭和50年)2月の 「えめらるどおきなわ」、同4月の 「だいやもんどおきなわ」 とRORO船時代に突入、折りしも沖縄海洋博覧会の開催時期と重なって、と言うよりこれに合わせて拡大路線を一気に突っ走ることになったのだが。
当初、東京港の発着場所は晴海埠頭、現在の晴海客船ターミナルのある場所にあった旧待合所であったが、ここからパスポートが必要だった返還前の那覇へ。
琉球海運だいやもんどおきなわ その2
DATE: 02/01/2007 03:25:12
船社 : 琉球海運㈱
船名 : だいやもんどおきなわ (8,610屯)
船客定員 : 1,055名
海洋博期間中 那覇安謝港~渡久地新港 (2,300名)
船種 : RORO型貨客船
航路 : 那覇~東京
1975年(昭和50年)4月、竣工と同時に東京航路に就航した。
同年7月から開催された沖縄海洋博覧会の期間中は、安謝港~渡久地新港(エキスポ港)間をシャトル運航便として臨時配船された。
本船初乗船は、海洋博終了後の冬場閑散期だった。
右側通行のタクシーに乗って国際通り近くのホテルを発た、安謝港に向います。
安謝(あじゃ)港、聞き慣れない名称だが、現在の那覇新港のこと。
当時(昭和51年)は安謝港が一般的で、タクシーに 「那覇新港」 と伝えると 「安謝港のことですか」 と確認を求められたことがあった。
右側通行にしても異郷に来たな、といった感を強くしたものだった。
タクシーが安謝港検問ゲートに差し掛かると、停止を求められ、船員か船客かの確認をされた。
守衛から運転手経由で確認が来たが、船客はここで下車せよと伝えられた。
船員は本船前まで入れるとのこと、「だいやもんどおきなわ」 の方向に徒歩でテクテクと向かった。
琉球海運だいやもんどおきなわ その3
DATE: 02/02/2007 03:00:03
【運航ダイヤ】
那覇安謝港11:00発 → 東京有明08:00着 (翌々日)
【旅客運賃】
2等15,000円 1等30,000円 特等37,500円
【戻し税】
洋酒などの免税商品は一旦税込みで購入して、証明書類を貰っておき、出港間際に税関職員と銀行員が乗船してきて、書類チェックと税額の払い戻しを行なっていた。
有名なスコッチウイスキーの 「黒」 で1本当り1,200円程度の払い戻し額だ。
【船室】
1等室 : ツインベッド 窓付き海側 貸切料なし
【食事】
琉球海運方式
食事時間の30分前に放送で、「これから各部屋まで注文を取りに伺います」。
メニューにある5種類の中から選んで、支払を済ませる。
定刻に案内放送があり、「準備ができました」。
【航路】
沖縄本島と与論島間の水道を抜けると、東京へ向けて北東方向に1直線でコースを取る為、陸影はおろか行き交う船もない海と空だけが続き、日頃陸影が見え隠れする航路を乗っている者には、楽しみ半減した。
【客数】
全等級で8名。
閑散期狙いで大当たり。
琉球海運だいやもんどおきなわ その4
DATE: 02/03/2007 07:09:12
本船は東京航路向けというより、那覇安謝港~渡久地新港間の海洋博会場輸送向けとして、建造されたた。
閉幕後は東京航路に就航していたが、1982年新日本海フェリーに売却された。
西日本商船→西日本汽船→日本クルーズ客船の 「ニューゆうとぴあ」 と改名され、客船として花開いた。
船首右舷のランプドアは、その後の改造で撤去された。
客船改造後の総トン数は12,061屯に。


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