関西汽船 くるしま7 復刻2007 08 12
関西汽船 くるしま7 復刻2007 08 12
くるしま7
船名 : くるしま7
元船名 : 黒潮丸
総トン数 : 5,216トン
主要寸法 : 全長124.1m 型幅16.8m 型深6.4m
主機関 : ディーゼル 9,000PS×2基
航海速力 : 20.5ノット
船客定員 : 1,390名
竣工 : 1971年(昭和46年)
建造所 : 林兼下関
航路 : 大阪~神戸~今治~松山~別府
1983年(昭和58年) 別府航路では 「ゆふ丸」 の後継として就航した。
元関西汽船沖縄航路 RORO型貨客船 「黒潮丸」 で、沖縄航路が 「フェリーくろしお」 投入でフェリー化された為に係船、その後来島興産に売却されたものを傭船。
1989年当時の別府航路には本船の他に、フェリーでは 「さんふらわあ」 「さんふらわふ2」 「くいーんふらわあ2」 が、高松航路乗用車フェリーとして 「まや丸」、更に客船では 「こばると丸」 「あいぼり丸」 姉妹が、同時に就航していた。
【のりば】
大阪南港かもめ埠頭 : 「さんふらわあ」 「さんふらわあ2」
大阪弁天埠頭 : 「くるしま7」 「くいーんふらわあ2」 「まや丸」 「こばると丸」 「あいぼり丸」
神戸中突堤 : 全便
【運航ダイヤ】 ( 1989年 )
■ さんふらわあ さんふらわあ2
大阪南港発19:00 神戸中突堤発20:30 別府着08:00
別府発19:20 神戸中突堤着06:50 大阪南港着08:20
■ くるしま7 くいーんふらわあ2
大阪弁天埠頭発21:00 神戸中突堤発22:30 今治発05:50 松山発07:55 別府着11:55
別府発16:30 松山発21:05 今治発23:00 神戸中突堤着06:00 大阪弁天埠頭着07:30
■ まや丸
大阪弁天埠頭発08:30 神戸中突堤発09:50 坂手着12:50 高松着14:00
高松発14:30 坂手発15:40 神戸中突堤着18:40 大阪弁天埠頭着20:00
■ こばると丸 あいぼり丸
大阪弁天埠頭発15:00 神戸中突堤発16:20 坂手着19:30 高松着21:50 別府着07:00
別府発21:00 高松発07:55 坂手発09:15 神戸中突堤着12:25 大阪弁天埠頭着13:45
【運賃料金】 ( 1989年 阪神~別府 円 )
2等 5,700 2等寝台B 7,200 2等寝台A 7,700
1等 11,400 特等B 14,300 特等A 18,700
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AUTHOR: ふねきち
DATE: 08/12/2007 16:05:48
沖縄航路時代のランニングメイト「若潮丸」は、クルーズ客船「さんふらわあ7」に改装され、同航路に「フェリーくろしお」が就航してから、改装と船名が瀬戸内を走るには「黒潮」ということばは?という事で、「くるしま」とラッキー№で「7」だったのかもですね。
さんふらわあも5姉妹は、初代に2・・・そのあとは「3」をプラスした船名「5」「8」「11」としていました。
そこに「7」が登場したのですが、やはりラッキー7の意味でしょうね。
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AUTHOR: 定期船
DATE: 08/12/2007 17:20:04
TITLE: 相手が 「くいーんふらわあ2」 なので
関連付けが出来なくなり、適当に 「くるしま」 をもってきたのでしょうね。
船主の 「来島興産」 からであり、来島海峡からではないと、確信していますが。
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AUTHOR: ELF井田
DATE: 08/16/2007 02:48:13
TITLE: 場違いな投稿かもしれませんが…
さんふらわあ7…昔から不思議に思うのは、なぜ若潮丸を向日葵マークの さんふらわあ にしたのでしょうか? しかも関西汽船が さんふらわあ を取得する前だった筈なのに。
やはり来島グループの外洋クルーズ船ということで、大人気で誰もが知っている さんふらわあ に…というのが理由でしょうかね。
チビの時に東京晴海からハレー彗星観察ワンナイトクルーズで 、親と乗った時に さんふらわあ なのに何故有明フェリーふ頭じゃないの? トラックや車も積んでない、オマケにいつものさんふらわあと比べると型が違う…よく見ると船尾に東京じゃくて大阪、8じゃなく7! と疑問だらけになった覚えがあります。
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AUTHOR: 定期船
DATE: 08/16/2007 05:02:37
TITLE: 「0」 「2」 の購入が後ですが
そりより何より関西汽船が来島傘下でしたから、「さんふらわあ」 は客船のイメージアップには、好都合であったということでしょう。
「7」 は縁起担ぎ、まだ船名識別は数字しか頭にない時代でしたから。
船尾ランプは 「商品搬出入口」、車輌甲板は 「さんふらわあホール」 として、500席の椅子が並べられていました。
車輌を積み込むことは、念頭になかったようです。
東京港での接岸は客船ですから、当然晴海埠頭でしょう。
********** コメメント **********
AUTHOR: Ivory
DATE: 09/06/2008 21:28:22
TITLE: すばらしい運動能力
くるしま7元、沖縄航路、黒潮丸この船もよく乗りにいきました。
お盆の多客期ことでした。大阪~松山間往復したときのこと、松山21時05分発のはずが、なんと1時間30分遅れて出港、今治出港は2時間30分遅れました。
遅れお取り戻すため赤に白の帯を入れた(ファンネル)煙突より火の粉を、ものすごく出し走りました。
途中おなじ阪神行きのフェリーを全部、抜き去り神戸着は定刻より10分早く到着この船の動力性能の高さが分かりました。
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AUTHOR: 定期船
DATE: 09/07/2008 07:28:39
TITLE: つねに 「若潮丸」 と比較される
クルーズ船として華々しく転進した 「若潮丸」 に比べると、地味な印象が避けられません。
瀬戸内海でも、同じ沖縄航路からの「くいーんふらわあ2」 と比べられ、地味な存在でした。
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